【事案の概要】
小型特殊自動車が、歩行中のA(先天性の聴覚障害を有していた当時11歳の児童)に衝突し、Aが死亡した交通事故において、Aの基礎収入(年収)を賃金センサスの全労働者平均賃金を減額することなく死亡逸失利益を算定しました。
【本件の争点】
先天性の聴覚障害を有していた児童が死亡しなければ将来得られたであろう逸失利益の算定
【原審(令和5年2月27日大阪地方裁判所)の判断】
「不法行為により死亡した年少者の逸失利益については、将来の予測が困難であったとしても、あらゆる証拠資料に基づき、経験則と良識を活用して、できる限り蓋然性のある額を算出するように努めるべきである(最高裁判所昭和39年6月24日第3小法廷判決・民集18巻5号874頁参照)」、「Aには年齢相応の学力や思考力を身に付けていく蓋然性があり、将来様々な就労可能性があったといえるとする一方、Aには感音性難聴があり、聴力障害によって就労の上で他者とのコミュニケーションが制限され、聴力障害が労働能力を制限し得る事実であること自体は否定することができないとした上で」、「Aの死亡時において、聴覚障害者の収入が全労働者の平均賃金と同程度であったとはいえず、聴覚障害者が必要かつ合理的な配慮を得られれば、障害がない者と同程度の収入を得ることができるとも直ちに認めることはできないが」、「Aが将来就労したであろう時期においては、障害者法制の整備を前提とする就労機会等の拡大やテクノロジーの発達によるコミュニケーション手段の充実により聴力障害が就労に及ぼす影響が小さくなり、聴覚障害者の平均収入は増加すると予測できるとともに、Aも、将来において自ら様々な手段や技術を利用して聴力障害によるコミュニケーションへの影響を小さくすることができるといえるなどとし」、Aの死亡時である平成30年の時点では、聴覚障害者(週所定労働時間が30時間以上である者)の平均収入は、同年の全労働者平均賃金の約70%であったものの、Aの基礎収入は全労働者平均賃金の85%とするのが相当であると判断しました。
【控訴審(令和7年1月20日大阪高等裁判所)の判断】
「未成年者の逸失利益を認定するに当たって全労働者平均賃金を用いる際には、一般に当該未成年者の諸々の能力の高低を個別的に問うことなくその数値を用いているのが通例であり、あえて全労働者平均賃金を増額又は減額して用いることが許容されるのは、損害の公平な分担の理念に照らして、全労働者平均賃金を基礎収入として認めることにつき顕著な妨げとなる事由が存在する場合に限られるというべきである。」「Aは、先天性の聴覚障害を有していた児童であるところ、Aにつき、就労可能年齢に達した時点における基礎収入を当然に減額するべき程度の労働能力の制限の有無やその程度を検討するに当たっては、死亡当時のA固有の聴覚の状態像を正確に理解した上で、就労可能年齢に達したときのAの労働能力の見通し、聴覚障害者をめぐる社会情勢・社会意識や職場環境の変化を踏まえたAの就労の見通しを検討して、Aの労働能力を評価すべきであると考えられる。」と判断した上で、「ア Aの死亡当時の聴覚に関わる能力について、イ Aが就労可能年齢に達したときの労働能力に関する見通しについて、ウ 障害者法制の整備、テクノロジーの発展や聴覚障害者をめぐる教育、就労環境等の変化について、エ Aの就労に関する見通し」について詳細に検討し、「Aが就労可能年齢に達した時点において、・・・支障なくコミュニケーションができたと見込まれるから、Aは、聴覚に関して、基礎収入を当然に減額するべき程度に労働能力の制限があるとはいえない状態にあるものと評価することができる。」「Aは、就労可能年齢に達した時点において、将来の聴覚障害を自分自身及び職場(社会)全体で調整し、対応することができると合理的に予測できるから、損害の公平な分担の理念に照らして、全労働者平均賃金を基礎収入として認めることにつき顕著な妨げとなる事由はなく、健聴者と比べて、基礎収入を当然に減額するべき程度に労働能力の制限があるということはできない。このように、Aは、一般就労、即ち、障害の有無にかかわらず、健聴者と同じ職場で同じ勤務条件や労働環境のもとで同等に働くことが十分可能であったと考えられる。」「そうすると、Aの逸失利益を算定する際の基礎収入については、平成30年の全労働者平均賃金を用いるのが相当であって、Aの基礎収入につき、この平均賃金から何らかの減額をする理由はないといわなければならない。」として、Aの基礎収入は全労働者平均賃金の100%とする判断をしました。
本判決(控訴審)は、聴覚障害があっても、未成年者の逸失利益の算定に当たっては、全労働者平均賃金を基礎収入として認めるのが原則であるという基準を立てた上で、それを認めることにつき「顕著な妨げとなる事由」が存在する場合にのみ、全労働者平均賃金を増額又は減額して用いることが許されるとしています。
そして、本判決は、昨今の障害者法制の整備やテクノロジーの発展などによる聴覚障害者をめぐる教育・就労環境等の変化も踏まえた上で、Aの能力等個別具体的事情からAの基礎収入を全労働者平均賃金の100%と判断しました。
本判決が示した上記基準及び昨今の聴覚障害者をとりまく環境の変化は、聴覚障害のある未成年者の逸失利益の算定において特筆すべきものとは思いますが、今後も、裁判所は、あくまでも当該未成年者の個別具体的事情を考慮した上で逸失利益の算定を行うことになります。