1 素因減額とは

素因減額とは、交通事故によって発生した損害が、被害者の素因によって拡大している場合に、損害の全てを加害者に賠償させることが「損害の公平な分担」という不法行為法の趣旨に照らして相当でないとき、素因の寄与を理由として、損害賠償額を減少させることを言います。

例えば、被害者がもともと椎間板ヘルニアを患っており、その疾患のために治療が長期化してしまった場合に、加害者側から素因減額を主張されるといったケースがあります。

「素因」は、一般的に、被害者の精神的傾向である「心因的要因」と、既往の疾患や身体的特徴などの「体質的・身体的素因」に分類されていますが、それらは実に多種多様であり、素因減額の判断について一定の基準が確立しているわけではありません。ただ、素因減額を検討する上で参考となる判例もありますので、今回は、心因的要因に基づく素因減額に関する判例をご紹介したいと思います。

 

2 心因的要因に関する判例

(1)最高裁昭和63年4月21日判決

事故により頭頚部軟部組織に損傷が生じ、外傷性頚部症候群の症状を発した後、10年以上の入通院を継続した被害者について、事故後3年を経過した日までに生じた損害についてのみ相当因果関係があるとした上で、「3年間にわたって生じた損害の全てを被告ら(加害者)に負担させることは公平の理念に照らし相当ではない。すなわち、右損害は本件事故のみによって通常発生する程度、範囲を超えているものということができ、かつ、その損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与していることが明らかである」として、4割の限度に減額しました。

この事案は、比較的軽度の追突事故で、被害者の特異な性格や加害者の態度への不満等の心理的要因によって賠償神経症(賠償に対する願望や賠償が受けられないことの不満を原因とする心因反応と言われています。)を引き起こし、症状の悪化と固定化を招いたと認定されていますので、事案としては特殊なものであると思われますが、客観的な事故態様からすれば通常発生する程度、範囲を超えているような入通院がなされているようなケースでは、この事案のように素因減額がなされる可能性があります。

(2)東京地裁平成27年3月31日判決

両膝打撲傷、頸椎捻挫、頭部外傷等で約1年2ヶ月の治療後に、身体表現性障害(頭痛や吐き気など様々な身体症状が出現するものの、原因となる身体的異常が認められないものを言います。)による頭痛、目眩、嘔気等が生じている被害者について、身体表現性障害の原因はストレスなどの心理社会的要因が関係しているといわれており、事故以外の要因が影響している可能性もあるが、それはあくまでも可能性にとどまる上、身体表現性障害の程度は14級にとどまり、本件事故によって通常発生する程度、範囲を超えていないとして減額を否定しました。

この事案は、タクシーが乗客を降車させるために後部ドアを開けたところ、道路左端を自転車で走行していた被害者がドアに接触して転倒、負傷したという事案ですが、被害者側は後遺障害9級(非器質性の精神障害)を主張していたのに対し、裁判所は、非器質性の精神障害(身体表現性障害)と事故との因果関係を認めつつ、その障害の程度は14級にとどまると判断しています。この判例は、前述の判例と異なり、被害者に発生した障害は通常発生する程度、範囲を超えていないとして素因減額を否定しましたが、後遺障害の程度を14級という一番低い等級で認定したこととのバランスを取った面もあるのではないかと思います。

(3)最高裁平成5年9月9日判決

交通事故により受傷した被害者が自殺した場合において、その傷害が身体に重大な器質的傷害を伴う後遺症を残すようなものでなかったとしても、事故の態様が加害者の一方的過失によるものであって被害者に大きな精神的衝撃を与え、その衝撃が長い年月にわたって残るようなものであったこと、その後の補償交渉が円滑に進行しなかったことなどが原因となって、被害者が災害神経症状態に陥り、その状態から抜け出せないままうつ病になり、その改善をみないまま自殺に至ったなどの事実関係の下では、事故と被害者の自殺との間に相当因果関係があるとしたうえで、被害者の心因的要因の寄与を理由に80%の素因減額をした原審の判断を正当としました。

この事案は、最高裁として初めて、交通事故と自殺との相当因果関係を認めたものであり、被害者が交通事故後にうつ病を発症して自殺したケースで、自殺による損害も請求できる可能性があることが示されましたが、相当因果関係が認められる場合でも、被害者の心因的要因が大きいものとして、かなり高い寄与率で素因減額がなされるものと思われます。

以 上